みなさまこんにちはおつかれさまです。
日本国憲法に平等ということははっきりと明記されており、特に14条でその規定がなされています。
平等の規定は2つあり、1つは平等の原則、もう1つは平等の権利です。
平等の原則は何を規定しているのかというと
国家は国民を不合理に差別してはならないという原則が定められています。
そしてこの原則は直接的な法規範として立法、行政、司法の全てを拘束します。
同時に国民個々に保障したものが平等の権利です。
法的に平等に扱われる権利ないし不合理な差別をされない権利のことです。
この平等にというのは憲法で規定されているので立法者(国会)までも拘束します。(法内容平等説)
ここで憲法14条1項ですが
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
とあるように、平等であって差別されないとあります。
ここで平等のための要件がいくつかありますが、最後に門地とあります。
この門地とは家柄のことですが、今や全ての国民に階級というものなどないのでいわゆる皇族がここに該当してきます。
しかしこれは法的な解釈ですので実際田舎の方などいくとこういう門地について明確なところもあり、それによって差別されてはならないということです。
こうした村八分な状況におかれた事件は明るみにでているものだけでも数多くあります。
津山事件は映画のモデルになっているように有名な事件です。(ただこれは門地による差別ではなく、その他身体的な要素などからの差別でした)
月ヶ瀬村事件(他所者への差別による事件、しかし判決ではその境遇による情状酌量の余地はなし)
などなどです。
実際こうした差別は事件化していないだけで実際に今もどこかで平然と起こっていると思いますし
これらはその社会の中でルール化され、疑う余地なく強制されているからこそ何もできずという状況に思えます。
また平等といっても何をどのようにすることが平等かについても明確にしなければなりません。
まず平等とは相対的平等と絶対的平等がありますが、日本国憲法にいう平等とは相対的平等のことです。
男性も女性も老人も青年も全員一律に同じだけにするのではないということで
社会通念から見て合理的である限り、その差別的取扱は平等違反ではない。ということです。
そして具体的に何が合理的な取り扱いで、何が差別的な取り扱いになるかを区別しなければなりません。
(ここで差別的な取り扱いをしている法が違憲となります)
基本的には憲法14条1項に列挙されている「人種、信条、性別、社会的身分」が特に重要で厳格な審査基準が適用されます。
その中でも厳格な審査基準の原則から外れて性別、社会的身分の中では合理的な合理性の基準を適用する場合もあり得ます。
その場合には公権力の側で合憲である理由を立証しなければなりません。(立証責任が公権力側にある)
この厳格、厳格な合理性とありますが、厳格な審査基準がもっとも厳格で、厳格な合理性は少し緩やかになったという具合です。
人種、信条についてはそれによって何者も差別的なことは許してはならないということですが
性別や社会的身分についてはどうでしょうか。
性別については特にデリケートな問題でありますが(近年LGBTについても話題にあがり法整備が必要です)
やはり男女によって全てを同じにするわけにはいきません。
例えば産後の母体保護についてなどがあり得ます。
そういった場合には合理的な理由に基づいた基準が必要になるので、厳格な合理性の基準もあり得るということです。
ではこのように憲法に列挙されていない事由についてはどのような審査基準が望ましいでしょうか。
まずその他の事由についてですが「精神的自由・選挙権」「経済的自由」があります。
精神的自由・選挙権ですがこれは言うまでもなく厳格審査基準が適用されます。
合理的な理由でもって例外的なことがあってはならないからです。
次に経済的自由についてですが積極目的か消極目的かによってきます。
積極目的が合理的根拠の基準(厳格な合理性の基準よりもさらに緩やかな基準)
消極目的が厳格な合理性の基準が適用されます。
経済的自由の積極目的と消極目的とありますが
積極目的とは弱者保護という目的のことで
消極目的とは生命・健康の危険を防止、除去、緩和するという目的のことです。
例えば積極目的については電気やガスについて異常な価格高騰などがないように国が関わっているということがあります。
消極目的は人の生命や健康に関わる職業に就くには誰でも許可することはできず、特別な資格や許可が必要になるといったものです。
これらの目的についてによる審査基準ですが、平等の捉え方が大きく関わってきます。
それは絶対的平等という意味の平等ではなく、相対的平等が根底あるからです。
相対的平等とは全ての規制を平等にするのでなく、機会を平等にするということです。
つまり誰にでも平等に機会が与えられ、その後個々の努力や成果によってあらわれる差異を容認するということです。
そのため経済的自由についてはいずれも厳格審査基準を適用しないということです。
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