みなさまこんにちはおつかれさまです。
憲法で保障されている自由ですが、学問の自由は内心の自由(精神的自由権)であるといえます。
だからこそ人権の一つとして保障されなければなりません。
精神的自由権には学問の自由だけでなく表現の自由もありますが、この二つは司法試験でも重要な頻出項目です。
学問や表現の自由については、原則外部がその良し悪しを判断してはいけません。
研究の良し悪しを判断しては社会の発展を妨げることになりますし、
今現在活用されている科学技術のほとんどは、発見当時はまるで役に立たないと思われたものです。
学問の良し悪しはその場では判断できるものではありませんし
その場で判断していては将来の可能性を閉ざしてしまいます。
よくアニメなんかで、あまりにも猟奇的な研究内容であったため学会を追放されたなんて設定がありますが
あれは現実にはあり得ません。
研究については個々の自由です。
(ただし研究のために監禁して暴力を加えたなどの行為についての罰則はまた別です)
実際に学会を追放されることがあるとすると、学会費を払わなかったときでしょう。
そうした精神的自由権ですのでそれを規制する法律は厳格な基準であるべきです。
厳格な基準で審査すると違憲になりやすく
緩やかな基準で審査すると合憲になりやすい
つまり厳格な基準であれば自由がより保障されるということです。
ですが精神的自由権であっても厳格な基準が妥当しない場合があります。
それが先端科学技術問題です。
原子力などの大規模技術、遺伝子組み換えなどの遺伝子技術、体外受精・遺伝子治療・臓器移植などの医療技術などなど
これらは中間審査基準が妥当とされています。
まず学問の規制というのはいきなり法律で規定されるということはまずありません。
①個人の自主規制 ②学会のガイドライン ③法律の規定
の順で規定されていき、審査基準も厳しくなっていきます。
そもそもなぜ学問の自由は厳格な審査基準が望ましいかというと
それは精神的な自由権であるからでした。
精神的なものは傷つきやすく回復しにくいものです。
そのためその時の状況や時代の様子だけで判断してはいけません。
学問の趣旨は真理を探究することにあります。そのため時代や国の考えと逆行することはよくあります。
ですがなんでも学問研究を認めていいわけではありません。
アウシュビッツ収容所ではとんでもない人体実験が行われていましたし
いまウイグルの人々にとんでもない人権侵害もおこっています。(学問研究とは程遠いですが)
まとめると
①学問研究の対立利益が「人間の尊厳」(13条・24条)の確保という憲法上重要な価値である。
②どのような危険をどの程度もたらすかについて事前に科学的に的確に予測することが困難である。
③損害が発生した場合にその被害の及ぶ範囲と程度は広範かつ深刻なものとなる。
これらが精神的自由権であっても厳格な基準が妥当しない理由となります。
いま原子力発電所の是非が問われ続けていますが。実際に大地震という予測困難な事態でもって福島は立ち入れない土地となってしまいました。
原発そのものは管理を徹底すれば安全ですが、その安全を完全に確保するのは不可能です。
しかし、今電力不足がさけばれています。
夏はもつが、冬には電力がたりなくなる計算ということです。
冬に足りなくなるということはその先も余裕はありません。
今のテレワーク体制や私が法律の勉強している講義もデジタルの力によって成り立っています。
医療なんかもそうです。
原発はないほうがいいですが今のところは代替案がない。
でもだからといって良しとしては何もかわらないので良い方法を考えていかないといけない。
この発電の代替案を考えたり、実際に開発したり、人々の生活のあり方自体を見直したりということが学問ですね。
コメント