みなさんこんにちはお疲れ様です。
日本国憲法では個人の尊重が根底にあるので、自由を不当に制限されるのは憲法違反(違憲)です。
しかしこの自由が保障される範囲に制限が加わる場合があります。
それが天皇、法人、外国人、未成年です。
天皇は自然人ではありますが、その象徴としての役割でいろいろな制限があります。
例えば学問の自由で、学ぶ自由はありますが、論文発表などでの自由は象徴としてある程度の制限が加わります。
未成年については法で規定されている通りの制限が加わります。
法人や外国人については条文だけでは明確な結論を導くことができず、さまざまな説があります。
いくつかは判例で決着がついていますが、これも今後時代の流れによってはわからないかもしれません。
法人の人権については認められるというものも認められないというものも有力で、
現時点では判例での「性質上可能な限り認められる」というものが通説となっています。
この八幡製鉄事件(昭和45年)の判例の結論ですが、もちろんこの結論は理にかなっていて正しいものです。
しかし、昨今ではこの法人への人権が不当に使われることが増えているというのです。
かつては天皇によって国民の人権が制限されていましたが、そのように法人によって労働者の人権が制限されているということです。
これは確かにその通りで労働者はただなされるがままで大変厳しい状況になっていることも少なくありません。
(もちろん恵まれているのに不平不満を言う人もいるのは事実ですが。)
では法人に性質上認められている人権はどんなものでしょうか。
選挙権、被選挙権、生存権、生命身体に関する自由は当然自然人でしか成り立たないので法人には認められません。
しかし、経済的自由権、請願権、国務請求権(裁判を受ける権利、国家賠償請求権)、刑事手続き上の諸権利については法人にも当然に認められます。
でも時と場合によるもの、つまり問題となるものもあります。
信教の自由、学問の自由、集会、結社、表現の自由、政治活動の自由がそれにあたります。
例えば法人として何かの宗教を支持するのは認められます。
(宗教法人や学校法人が何か特定の宗教や学問を選択する自由は認められます)
しかし、それを法人内の自然に強制するとなるといくつかの判例があります。
前述した八幡製鉄事件は法人として特定の政党に政治献金したことが問題となりました。
この政治献金が会社の定款の目的の範囲外の行為であるとして株主が損害賠償を求めた事件です。
結論ですが判旨は、「会社は自然人たる国民と同様、政治的行為をなす自由を有する」としました。
政治献金の自由も国民と別異にしてはならないということです。
ですが法人の権利がどんな時でも認められるものではありません。
国労広島地本組合費請求事件(昭和50年)では、労働組合へのいくつかの組合費が組合の目的を超えるとして支払いを拒みました。
ここで労働組合のあり方や組合員の義務の範囲、支払う資金の目的の範囲などが問題となりました。
判旨では労働組合は労働条件の維持改善などを目的とする団体であるが、今日における労働組合はその目的の範囲外のものであるかどうか。
まずは協力義務について
今日の労働組合は労働者にとって重大な利益になっているもので、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けている。
このことから考えると、まず労働組合の活動として許されているというだけで
組合員の協力義務を無条件で肯定するのは相当ではない。つまり無条件で協力義務を肯定してはいけないということです。
炭労資金について
労働組合として組合員の経済的地位の向上を目的とした、炭労資金を徴収するという行為は労働組合としての目的に沿ったものといえる。
しかしこうした問題を支援するかどうかは自主的に判断するべきもので、多数決によってそれが決定された場合にはこれに対する組合員の協力義務を否定すべき理由はない。とされました。
安保資金について
これは炭労資金の結論とほぼ同じ内容となります。
やはり多数決による政治活動に対して個々の組合員の協力を義務付けることは許されないとしました。
これを前提として資金徴収については、その負担がどれほど影響力があるかが議論となります。
いわゆる個々に自由に意見を表明できる問題について、全員一致で資金を集めるということは積極的協力の強制になり、支持の表明を強制することになります。
では結論はというと、これらによって組合員に関係する程度は軽微なものであり、協力義務を肯定することが相当。となりました。
それぞれ一個人の表現の自由は保障されるという前提は当然にある中で
法人の人権はどこまでそこに影響するのかで結論が分かれます。
特にその影響が軽微なものであれば法人の人権は肯定されるということです。
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