みなさまこんにちはお疲れ様です。
憲法は基本的には間接適用という形で私たちを保障します。
それは憲法はやはり国家権力に対して直接適用するものであって、一個人に対して適用するものではないということです。
一個人に適用するのはあくまでも法律です。
そしてこの法律は全て憲法の範囲内で定められています。
つまり憲法の範囲の中の法律の中の(条例の中の)わたしたちということです。
ならば結果的に憲法によって保障されていると言えるのですが法律を飛び越えて憲法がいきなり私たちを保障するということは原則ないということです。
しかしそれは一部例外があります。
それが投票の無答責(15条4項後段)、奴隷的拘束の禁止(18条)、児童酷使の禁止(27条3項)、労働基本権(28条)、(婚姻の平等(24条))
※婚姻の平等についてはこれを前提とした民法を制定すべきというのも有力であるので()にしています
ではこれ以外の事柄については民法1、90、709、34条によって保障されていきます。
憲法で大まかなことを決めたので、あとの細かいところは法律で決めてということですね。
憲法は決して変わらない絶対的なものとして位置付けられており、いざ変更するとなると国民全員をまきこんだ大掛かりな承認が必要です。
ですので憲法の時点ではあまり細かいことまでは決めずに、本当に細かなところは他に任せたということです。
というのは時代によって生活様式は大きくかわりますし、それによって価値観も変化します。
個人の尊重が大事だということは変わりませんが、優先順位や罰則の程度なんかは時代によってさまざまです。
そのため細かいところは憲法では規定をしていないんですね。
そして実際のところさらに細かいどこからが人権侵害なのかというさらに細かい明確なところは法律でも決められていません。
なんとそこはその裁判を担当した裁判官によって決められます。
最終的なところは裁判官に重責があるのですね。
実際自身の正義に従って国家に対して不利益な判決を下した裁判官は、判決後に随分な目にあっているのも事実です。
(唯一の自衛隊違憲判決)
さて時代の流れによって人権規定も追加したり消去したりといったことが必要です。
そこで近年特に重要な人権はプライバシーの権利です。
人権の根源は差別的な扱いをされることなく誰もが自分らしくあれるように、個人が尊重されることです。
そして価値観の変化と科学技術の発達によってこのプライバシーの権利というのは人の行動や一生を揺るがすほどの価値となりました。
個人情報や写真、中には事実無根の情報が流布され、それによって個人の行動が制限されてしまいます。
ですが個人の尊重に必要だからといってなんでも新しい人権として認めて良いのではありません。
そうしてなんでも認めていれば人権のインフレ化が起こり、保護が強調されすぎて周りの人の身動きがとれなくなってしまい、逆に周りの人たちの個人が尊重されなくなってしまいます。
そのため新しい人権(ある行為が人権侵害)といえるには基準が必要です。
それが個人の人格的生存に不可欠であることです。
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